4/25/2011

メキシコ・ロックの再構築

-->



Café Tacuba, Re, Warner Music (1994) 
「ラテンアメリカ音楽は好きですか」と日本人に問われると、筆者はどうしても迷ってしまう。
まず、何よりも「ラテンアメリカ音楽」と言われても、 それがどのジャンルを表しているのかが分からない。一つだけ、自分の中ではっきりしていることは、「ラテンアメリカ音楽」は「洋楽」ではないことである。 「洋楽」は、日本国内以外の外国の音楽のことを指すが、日本人は頻繁に「洋楽」を欧米、特に英語の歌を指すのに使用している。したがって、スペイン語とポ ルトガル語を公用言語にしているラテンアメリか諸国の音楽を「洋楽」のジャンルに入れることはできない。
 では、そもそも「ラテンアメリカ音楽」というジャンルは存在するのだろうか。この疑問に答えるのも困難であるが、一つ確かなのは、その多様性で ある。伝統的な音楽や先住民の音楽もあれば、マリアッチのように外国文化との接触で生まれた音楽も存在する (これは通説であるが、それを批判する歴史家も多い)。また、現代の欧米音楽の要素を取り入れ、それをラテンアメリカ的にアレンジした音楽のことも対象外 にはできない。ラップ、ロック、パンクロック、エレクトロニカ、ポップ、フォーク、といったジャンルがその例である。 
 やはり、「ラテンアメリカ音楽」を一つジャンルにまとめるのは困難である。さらに、その研究もおそらく困難な事業であろう。このような側面はこ こに置いておくとして、本稿の本題について述べてみたい。今回は、ロック、特に、1990年代以降、メキシコのロック界を支えてきたカフェ・タクーバ (Café Tacuba) に焦点を合わせ、彼らのセカンド・アルバムである『RE』を紹介したい。ただし、その前に、本稿の冒頭で述べた質問「ラテンアメリカ音楽は好きですか」に ついて答えてみる必要があると思う。 
 率直に言うと、筆者は「ラテンアメリカ音楽」は好きではない。むしろ、長年間、ラテンアメリカの音楽、特にラテンアメリカのロックを軽蔑してき た人間である。その理由は、思春期からラテンアメリカのロックのクオリティが乏しいと感じてきたからである。筆者が思春期であった時、すなわち、1980 年代後半では、メキシコを始めスペインと他のラテンアメリカ諸国の音楽家は、英米の音楽をそのままコピーしていた。アルゼンチン出身のシンガーソングライ ターのミゲル・マテオス (Miguel Mateos) やスペインのロックバンドのラ・ウニオン (La Unión) やナチャ・ポップ (Nacha Pop) などが典型的な例である。 
 もちろん、これは、ラテンアメリカ特有の現象ではない。1980年代以降の日本音楽界を見れば一目瞭然であるが、筆者を含め民主化や政治の自由 化を経験したラテンアメリカ人、特に大都会の恵まれた中産階の人間にとって、このようなバンドや歌手に魅力を感じることができなかった。さらに、我らは、 親世代が好んだ伝統的なラテンアメリカ音楽 (サルサ、マンボ、ボレロ、マリアッチ) にも魅力を感じることができず、結局、歌詞の意味が分からないまま、単にビジュアル的に魅力的であった英米音楽に興味を持つことが多かった。 
 筆者自身は、中学に入学した時、デヴィット・ボウイ (David Bowie)、または英国のポスト・パンク・ムーブメントに魅力を感じ、ザ・ポリス (The Police)、バウハウス (Bauhaus)、ザ・キューア (The Cure)、スージ・アンド・ザ・バンシーズ (Siouxsie and the Banshees) 、ジョイ・ディビション (Joy Division)、ザ・スミス (The Smiths)、といったバンドに耳を傾け、そのような音楽をラテンアメリカのバンドが真似するのをどうしても許せなかった。 
 特に、ザ・ポリスの音楽をそのままコピーしたマナー (Maná) は嫌いであった (現在でも嫌いである)。もちろん、すべてのコピーバンドが悪い訳ではなかった。実際、アルゼンチンのソーダ ステレオ(Soda Stereo) やメキシコのカイファネス (Caifaines) を嫌いとは言っていたが、彼らの曲はほとんど覚えているし、現在でも彼らのアルバムを持っている。 
 さて、1990年代に入ると、スペイン語のロック界に対する興味がますます消えた。高校時代は、REM、ニルヴァナ (Nirvana)、レッド・チリ・ホット・ペッパーズ (Red Hot Chili Peppers) などを中心としたオルタナティブ・ロックを聞き、カイファネスやマナーを中心としたメキシコのロック界をさらに軽蔑した。しかしながら、大学に入学後、今 まで自分が抱いていた偏見が変わった。その原因は、メキシコのロック界において魅力的なバンドを現れたからである。 
 まず、1994年に発売されたカフェ・タクーバのセカンド・アルバム『Re』は、メキシコのロック界に新しい音楽センスを与えた。また、ヒップ ホップとロックを融合させたモロトブ (Molotov) も魅力的なバンドであった。1997年に突如現れた彼らのファースト・アルバム『¿Dónde jugaran las niñas?』は、メキシコ政治家を正面から批判し、PRI政権を嫌っていた多くの若者にとって魅力的なものであった。さらに、1998年に 『Aquamosh』でデビューしたプラスティリーナ・モッシュ (Plastilina Mosh) は、スペイン語、英語、エレクトロニカ、ロックを見事に融合させた。 
 こうして筆者は、長年間の偏見にピリオドを打ち、スペイン語、特にメキシコのロックに耳を傾けることになる。もちろん、すべてのバンドのクオリ ティが良い訳ではなかった。筆者自身、二度と聞きたくないバンドも数多いが、現在、メキシコのソエ (Zoe) やアルゼンチンのババソニコス (Babasónicos) のようなバンドは好きである。無論、これは、筆者の主観的な意見である。 
 さて、筆者の音楽の好みはさて置き、本題に話を戻そう。前述したように、メキシコのロック界を大きく変えた一つのバンドがカフェ・タクーバで あった。特に、彼らのセカンド・アルバム『Re』は、かなり魅力的なものである。彼らの最高のアルバムであるのも過言ではない。そのアルバムについて述べ る前に、このバンドについて少し述べておこう。 
 カフェ・タクーバは、4人で形成されているバンドである。1992年にファース・アルバムである『Café Tacuba』でデビューし、それ以降、5枚のアルバムを出してきた。彼らは、1980年代のバンドから距離を置き、英米音楽のコピー曲ではなく、メキシ コの伝統楽器や伝統的な音楽を取り入れ、現代の楽器やジャンルと組み合わせようとした。 
 さらに、歌詞の内容にも力を入れた。特に、意味不明な歌詞を歌うカイファネスやベタベタした愛の歌を歌うマナーとは異なり、文学やメキシコの ポップカルチャーの要素を取り入れ、面白おかしくアレンジした。また、明確な政治メッセージを避けた。最後に、ボーカルのルベン・アルバラン (Rubén Albarrán) の独特な声がカフェ・タクーバの曲に独自な世界を与えた。彼の声は決して澄んだ声ではない。実際、ある知人の日本人は、彼の声を聞いて二度と聞きたくない と言われたことある。ただし、彼は決して音痴ではない。 
 カフェ・タクーバの詳しい情報ついてはインターネット上に多く掲載されており、日本でも彼らのアルバムを購入するのは比較的簡単であるので、これ以上は書くことを止め、『Re』の評価について、本稿を終えてみたい。 
 このアルバムは、既に述べたように1994年に発売された。プロデューサは、ラテンアメリカ・ロックのカリスマ的な存在であるアルゼンチン出身 のグスタボ・サンタオラジャ (Gustavo Santaolalla) 氏である。『Re』では、様々なジャンルがミックスされ、楽器や歌詞のスタイルも多様である。中には、メキシコ唯一のプログレッシブなアルバムであるとい 評論家もいる。筆者は、そこまでは絶賛するつもりはないが、メキシコの現代ロックにおける重要なアルバムであることは間違いないと思う。 
 アルバムは20曲で形成されている。全体的に聞いてみると、その魅力さを感じることができるが、以外と一曲だけ聞くと、ぱっとしないものもある。機会があれば是非聞いて欲しいアルバムである。 

最後に、各曲の内容を簡単に説明しておきたい。
  1. El Aparato (機械): この曲はベラクルス州の弦楽器であるハラナ (Jarana) をベースにした曲である。ある工場で働く機械整備士についての曲である。ある日、彼は事故にあって視力を失う...
  2. La Ingrata (恩知らずな女性): カフェ・タクーバを代表する曲である。メキシコ北部のコリード (Corrido) を編曲させた曲である。歌詞の内容は失恋した男性が別れた女性を批判する歌である。男性は、この女性を恩知らずであると非難し、他の男のもとへ行き、後に よりを戻したいと言って来たことを恨んでいる。
  3. El Ciclón (サイクロン): 環境破壊と宗教について語る曲である。リズムはモダンであり、伝統的な楽器は使われていない。
  4. El Borrego (羊): メキシコのスラングでは、borrego (羊) は、まわりの好みに常に行動を合わせている人物を意味する。この曲では、そのような人物を面白おかしく取り上げられている。リズムは、ブルータル・デスメ タル (Brutal Death Metal) に近い。耳障りであるが、歌詞はかなり笑える。ただし、メキシコのスラングやポップ文化の要素が多く、その内容を理解するのは難しいかもしれない。 
  5. Esa Noche (その夜は): メキシコの伝統的なボレロのリズムをベースにした曲である。Soledadという女性とSoledad (孤独) という言葉をかけて、ある女性と別れた男性の孤独感を描いている。リズムと歌詞が上手くマッチングしている。
  6. 24 Horas (24時間): 明るいリズムで忙しい現代人について語っている。
  7. Ixtepec (イクステペック): オアハカ州イクステペック市の黒人女性に恋に落ちたホァン (Juan) の話。シンプルな曲であり、魅力的ではない。
  8. Trópico de Cáncer (北回帰線): ボサノバに近いギターが使用されている。歌詞の内容は、近代化と環境破壊にうんざりした石油産業技師の話。
  9. El Metro (地下鉄): メキシコの地下鉄に乗る人々を面白おかしく語る曲。一応、恋の話である。キーボードとモダンなギターが使用され、1990年代のポップのリズムに近い。  
  10. El Fin de la Infancia (幼少期の終わり): 曲名は、英国のSF作家アーサ・クラーク (Arthur Clarke) の小説『幼少期の終わり』から取り上げられたが、その内容は関係ない。楽器の多くは、オアハカ州のバンダ (música de banda)で使われるものであり、リズムはスカに近い。ボーカルの歌うスピードがとても速いので歌詞は聞き取れないが、その内容は、植民地時代、米国へ の憧れ、独立、自立、というテーマが歌われている。
  11. Madrugal (マドゥルガル): スペイン語には存在しない言葉であるが、早朝という意味なのかもしれない。ボレロのリズムをベースにした曲である。歌詞では、メキシコ・シティの早朝があらわされている。「メキシコ・シティは、スモッグとハトの糞で消える」…で曲は終わる。
  12. Pez (魚): 明るいリズムの曲である。水槽の魚の世界観を表している曲である。Verdeと関連した曲である
  13. Verde (緑): Pezと関連した曲である。歌詞の内容はあまり明確ではなない。
  14. La Negrita (黒人女性): 都会に憧れる黒人女性の歌。リズムは、ブラジルを意識したものである。最終的に、黒人女性は都会に行くが、なじめず故郷に帰る。
  15. El Tlatoani del Barrio (町内会のトラロトアニ): リズムは明るい曲。メキシコ・シティの下町のチンピラの話。
  16. Las Flores (花): リズムは明るく、鍵盤ハーモニカ、ギター、そして、ボーカルの声が上手くマッチングしている。カフェ・タクーバの代表的な愛の曲である。
  17. La Pinta (ラ・ピンタ): 曲のリズムは、1990年代のオルタナティブ・ロックに近い。ラ・ピンタ号(La Pinta)は、クリストファー・コロンブスが新大陸に向けての最初の航海の時に率いた3隻の船団の1隻である。しかし、メキシコのスラングでは、学校に 登校するふりをして学校にいかない行動を意味する。Irse de pinta。この曲では、それについて語られている。
  18. El Baile y el Salón (踊りとダンスホール): 1980年代のポップリズムに近い曲である。ダンスホールにおける男女の恋話。
  19. El Puñal y el Corazón (ナイフと心臓): 「ラテン系」のリズムに近い曲である。ある女性に恋した男性の話。女性は彼には興味がない。
  20. El Balcón (バルコニー): ゆっくりとしたリズムの曲である。金持ちの家で働く黒人女性の話。彼女は、インディオ系の男性と知り合い恋に落ちる。 
-->
(Reseña escrita el 26 de noviembre de 2008, para la página de la División de Estudios Latinoamericanos de la Universidad de Tokio)
 

    0 件のコメント: